大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所浜松支部 昭和50年(ワ)97号 判決

原告

佐野輝雄

ほか一名

被告

佐野光雄

ほか一名

主文

被告佐野光雄は、原告佐野輝雄に対して三二万九、九〇〇円を、原告佐野八千代に対して一八万二、九二〇円を、いずれもそれらに対する昭和四九年三月七日から各完済まで年五分の割合による金員を加えて、支払え。

原告らの被告浜松基礎工事に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用中、原告らと被告佐野光雄との間に生じた分は同被告の、原告らと被告浜松基礎工事との間に生じた分は原告らの、各負担とする。この判決は、第一項に限り、原告らにおいて仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

(一)  原告ら「被告らは連帯して、原告輝雄に対し三二万九、九〇〇円、原告八千代に対し一八万二、九二〇円を、いずれもこれらに対する昭和四九年三月七日から完済まで年五分の割合による金員を加えて、支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言

(二)  被告ら いずれも「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

二  原告の請求原因

(一)  原告輝雄は、昭和四九年三月六日午後三時五五分頃貨物自動車を運転中、浜松市笠井町五一八番一地先道路(天竜・浜松線)において、対向してくる訴外松田吉満運転の貨物自動車(以下加害車という)と衝突し、同原告および原告車に同乗していた原告八千代が負傷した。

(二)  被告光雄は右加害車を所有し、被告会社は加害車を賃借し、それぞれ運行の用に供していたものであるから、連帯して原告らが蒙つた損害を賠償する義務がある。

(三)  ところで原告輝雄は右事故により右手根骨骨折、左大腿膝部打撲創の傷害を受け昭和四九年三月六日から四月九日まで三五日間通院治療を受けた。(右手骨折部を固定し自宅で療養していたので通院実日数は七日のみであつた。)その間に蒙つた損害は次のとおりである。

(1)  治療費 四万三、二三〇円

(2)  通院費 五、九六〇円

(3)  文書費 一〇〇円

(4)  逸失利益 二七万三、七〇〇円

原告輝雄は古紙をチリ紙と交換して回収するのを業としていたが、昭和四八年一二月から昭和四九年二月までの三ケ月間の収去は別表のとおりであつて、その三ケ月間の利益は七〇万三、八一二円であるから、一日平均では七、八二〇円となり、前記休業三五日間では合計二七万三、七〇〇円の得べかりし利益を失つたことになる。

(5)  慰藉料 一〇万〇、〇〇〇円

合計 四二万二、九九〇円

(四)  原告八千代は右事故により頭、顔、頸、胸および左手に切創を負つたほか鞭うち症にかかり、昭和四九年三月六日から四月二二日まで四六日をこえる通院治療をうけた(実日数三一日)。しかし眉間部に約三、五センチメートルのケロイド状瘢痕を残し、そのため昭和五〇年三月東京の病院へ入院して整形手術を受けた。その間の損害は次のとおりである。

(1)  治療費 二三万一、九七〇円

(2)  通院費 二万四、一七〇円

(3)  文書費 一〇〇円

(4)  逸失利益 九万二、〇〇〇円

原告八千代が主婦としての仕事を前記四六日間休んだため一日二、〇〇〇円の割合で九万二、〇〇〇円を失つた。

(5)  慰藉料 一二万〇、〇〇〇円

合計 四六万八、二四〇円

(五)  もつとも原告輝雄は九万三、〇九〇円、原告八千代は二八万五、三二〇円を自賠責保険から支払を受けた。なお原告八千代は眉間部の瘢痕の後遺症について第一二級の障害の認定をうけ、保険から一〇四万円の支払を受けたが、これは後遺症慰藉料に充当したから、本件の損害とは関係がない。

(六)  そこで、原告輝雄は差引三二万九、九〇〇円、原告八千代は差引一八万二、九二〇円およびそれらに対する本件事故の翌日である昭和四九年三月七日から各完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  被告光雄の主張

(一)  原告らの請求原因のうち、(一)の事実は知らない。

同(二)のうち被告光雄が加害車の所有者であることは認める。

同(三)、(四)の事実は知らない。

同(五)の事実は認める。

(二)  被告光雄は加害車を被告会社に無償で貸与しておいたところ、被告会社の従業員である訴外松田が被告会社に無断で乗り出して本件事故を起したのである。したがつて、被告光雄には松田の右運行について支配も利益もなく、原告らのいう損害を賠償する義務はない。その間の経過は次のとおりである。

(1)  被告光雄は庭石の採取販売をしている者で昭和四八年一二月頃被告会社との間で、当時被告会社が請負つていた静岡県磐田郡竜山村の林道新設工事の現場から掘出される山石約五〇〇トンを買取つて搬出する契約をした。

(2)  ところが山石が掘出された右林道工事現場から国道へ出るまでの約四キロの道路が狭くて大型の車が入れないため、その間は小型車を使わなければならなかつた。その小型車として本件加害車もあつたが、その他に被告会社の小型ダンプカーもそれが被告会社で使わないで空いているときは借受けて使つていた。しかし昭和四九年二月終頃被告会社の右小型ダンプは右搬出中故障して使えなくなつてしまつた。

(3)  そこで、被告光雄は責任上右小型ダンプの代りの車としてその修理が終るまで本件加害車を被告会社に提供することとし、同年三月四日夕方頃加害車を被告会社の前記工事現場に駐車しておいて、被告会社の使用に委ねて貸与した。

(4)  それを被告会社の従業員である訴外松田が無断で持ち出して本件の事故を起したのである。

(5)  被告会社は事故後訴外松田の使用者としてその責任を痛感し被害者への賠償はもとより本件加害車の破損の修理をもするといつていた。

四  被告会社の主張

(一)  原告らの請求原因のうち(一)の事実は認める。

同(二)の事実のうち被告会社が加害車を賃借していたとの事実は否認する。

同(三)、(四)の事実は知らない。

同(五)の事実は認める。

(二)  本件加害車は被告会社の賃借していたものではなく、被告会社は同車の本件事故の際の運行について運行供用者としての責任はない。その間の経過は次のとおりである。

(1)  被告会社は昭和四八年一一月頃から静岡県磐田郡竜山村において林道建設工事を請負つて、工事を進めていた。

(2)  そこへ昭和四九年二月末頃石材業を営む被告光雄が、右工事によつて出る石を買い付けに来たので、被告会社の被告光雄に石材を売ることになつた。

(3)  石材の搬出は被告光雄が行つた。

同人は右搬出にあたり作業現場まで入る道が狭くて大型トラツクが入つて行けないので、本件加害車によつて現場から山の下まで運搬し、これを大型トラツクに積みかえては運搬していた。この作業は被告会社の作業とは全く関係のない、被告光雄の作業であつた。

(4)  本件事故当日は雨天で、被告会社の作業は休みであつたが、加害車がたまたま工事現場におかれていたため、訴外松田が運転したものである。

(5)  被告会社は被告光雄から加害車の保管の依頼も受けていない。

五  原告らの反論

被告会社は本件加害車について運行利益、運行支配を有していたから、原告らの損害を賠償すべき義務がある。その理由は次のとおりである。

(1)  加害車は昭和四九年一月七日から事故当日まで、被告会社が行つていた林道開設工事によつて掘出された岩石を運搬するために専属的に使用されていた。

(2)  右岩石運搬のためには被告会社の所有車両も利用された。

(3)  本件事故の前加害車は被告会社の工事現場内の車両置場に駐車されていた。

(4)  被告会社の従業員も加害車を使用しうる状態にあり、本件事故はまさにその従業員による運転中の事故である。

(5)  事故後被告会社の加害車を処分した。

六  証拠〔略〕

理由

一  原告らの請求原因(一)の事実(事故の発生)は、原告らと被告光雄との間では、成立に争いのない甲第一ないし第六号証および原告ら両名各本人尋問の結果によつて認めることができ、原告らと被告会社との間では争いがない。

二(一)ところで、右事故車(訴外松田が運転していた貨物自動車)は被告光雄の所有であることは同被告との間で争いがなく、被告会社との間でも弁論の全趣旨で認められる。

しかし、被告光雄は「右加害車を被告会社に賃貸していたから被告光雄は運行供用者ではない」と主張し、被告会社は右賃借を否定して運行供用者ではないという。そこでその点について検討する。

(二)  前出甲第一号証、第四号証証人油井真清の証言、被告光雄本人尋問の結果に弁論の全趣旨を加えると次の事実が認められる。

(1)  被告会社は昭和四八年一一月頂から静岡県磐田郡竜山村で林道開設工事を請負つて工事を進めていた。

(2)  同年一二月頃庭石の採取販売を業としている被告光雄が右林道工事で掘出される山石を買いたいと申込み、被告会社との間で代金二〇〇万円で掘出された山石を売買する契約を結んだ。山石は工事現場で引渡され、そこからは被告光雄が搬出する約であつた。

(3)  ところが、山石のある現場までは大型車は道が狭くて入れず、したがつて現場から大型車のある国道まで約四キロの間は小型のトラツクで運ぶほかなかつた。その上当時は雨が多く搬出がはかどらなかつた。そこで被告光雄はその所有の本件事故車で運ぶほかに、被告会社から四トンの小型トラツクを借りて、それを使つて運んだ。ところが被告会社から借りた車がブレーキの故障で使えなくなつてしまつた。それまでその車の管理は概ね被告光雄にまかされていた。

(4)  それで被告光雄は被告会社に対する責任上右故障車の修理が終るまで本件加害車を被告会社の使用に提供しようとし、昭和四九年三月四日夕同車を被告会社の工事現場内の車両置場に駐車させ(それまでは国道沿いの被告光雄が使用している車両置場へ駐車させていた)、被告会社で使用できる状態においた。もつともその時はそこに被告会社の人はいなかつたので、その車を故障車の代りに使つてもらいたいという趣旨を告げることはしなかつたし、その後も被告会社にその旨の申出をしたことはない。被告会社の者がこの車を仕事に使つたことはない。三月六日は雨天で被告会社の工事は休みであつた。

(5)  訴外松田は被告会社の従業員で前記林道の工事に従事し飯場に起居していたが、三月六日は仕事が休みであつたので同僚と酒を飲んだ上たまたま前記場所に置いてある本件事故車に乗つて私用で浜松まで行く途中本件事故を起した。

以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。なお被告光雄は「事故後被告会社が原告らの損害はもとより加害車の損害をも賠償するといつた」というが、油井証人のその点を否定する証言と対比すると、たやすく信用しがたい。また油井証言と被告光雄尋問の結果によれば、本件加害車を事故後被告会社で処分してしまつたことが認められるが、その事情は必らずしも明らかでない。

(三)  右事実から考えると、本件加害車が被告光雄から被告会社に貸与され被告会社の管理、支配に移されたと認めることはできない。同車は被告光雄の意図はともかく、被告会社がそれを使用するために借りたとか預つたと認めるまでには至らない。ただ被告会社の工事現場内の車両置場に使用可能の状態で駐車していたのが、被告会社の従業員によつて勝手に使用されたというほかない。原告らが反論の中で主張する事実から右判断をくつがえすことはできない。

そうだとすると、被告会社はその車について運行の支配も利益もなく、運行供用者ではないといわざるをえない。

そして他方被告光雄はその車を上記被告会社の車両置場に駐車させておいても、車の管理支配を失なわないということになる。さらに訴外松田の無断運転によつても運行支配を失わない。

結局被告光雄は原告らの本件事故による損害を賠償すべき義務があるが、被告会社にはその義務はなく、原告らの被告会社に対する請求は、この点において理由がない。

三  原告らの損害について考える。

(一)  原告輝雄の分

成立に争いのない甲第七、第八号証(以上原本の存在も争いがない)第二一、第二二号証、原告輝雄本人尋問の結果によつて成立が認められる甲第一八号証の一ないし七、第一九、第二〇号証、第二三号証に原告輝雄本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を加えると、原告らの請求原因(三)記載の原告輝雄の負傷の部位程度、損害の事実をすべて認めることができる。慰藉料の額も一〇万円が相当である。

(二)  原告八千代の分

成立に争いのない甲第九ないし第一四号証(以上原本の存在も争いがない)、第一五号証、第二四号証、原告八千代本人尋問の結果によつて成立が認められる甲第一六、第一七号証、第二五、第二六号証、原告八千代本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を加えると、原告らの請求原因(四)記載の原告八千代の負傷の部位、程度、損害の事実をすべて認めることができる。逸失利益の一日二、〇〇〇円の割合、慰藉料の額一二万円も相当である。

(三)  原告ら請求原因(五)記載の保険金受取の事実は当事者間に争いがない。

(四)  結局原告輝雄の実損害は三二万九、九〇〇円となり、原告八千代の実損害は一八万二、九二〇円となる。

四  以上の次第であるから、

(一)  被告光雄は、原告輝雄に対し三二万九、九〇〇円、原告八千代に対し一八万二、九二〇円、およびそれらに対する本件事故の日の翌日である昭和四九年三月七日から各完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。すなわち原告らの被告光雄に対する請求はいずれも理由があり、認容される。

(二)  しかし原告らの被告会社に対する請求は理由がなく、棄却をまぬがれない。

(三)  よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 水上東作)

別表

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例